Photo by Bruce Osborn, Torii and surfers

once upon a time 17

~もうひとつのカリフォルニア・ドリーミン 17
eaST MEETS WEST

アメリカを出発し、ヨーロッパ各地を巡り、その先に続くアジアの国々を旅して、たどり着いた日本。
二十代後半の頃のことだったから、かれこれ半世紀近い時間が流れている。
その長い旅を振り返りながら once upon a time というブログを書くことになったのは都築響一くんと再会し、彼が主宰するメールマガジン「ROADSIDERS’ WEEKLY」で連載を始めたのがきっかけだった。
その連載も、今回で最終回を迎える。
それに伴い、Vol.17 まで続いてきた once upon a time のストーリーも、ひとまずここで一時休止することになった。
懐かしい思い出が、去来する。

Bruce Osborn Self Portrait

日本に来て最初に住んだのが浅草だったのは、幸運な奇跡だった。

当時、浅草に住む外国人は稀で、ましてやカメラマンという存在自体が珍しかった。
おかげで、数えきれないほどの恵まれた出会いを経験することができた。
人は、食べるもので身体がつくられ、出会った人々や、身を置いた環境、触れてきた文化によって、その人となりが形づくられていく。
だから、下町文化に触れることができた浅草、臨海の晴海、魚河岸の築地、もんじゃの月島、海辺の町・葉山、そしてその前に暮らした、武蔵野の面影を残す緑豊かな杉並区・宮前それらはすべて、僕を育み、僕自身を形成する血となり肉になった。
そして今では、おぼつかない日本語を話すことを除けば、僕の半分は日本人なのかもしれない、と感じることもある。
今回の once upon a time Vol.17 では、書ききれなかった浅草での出来事や仕事などに触れてみることにした。


S-KEN

Photo by Bruce Osborn, S-ken
S-KEN

アメリカの旅から戻ってきたばかりの S-KENに会った。
LA や NYC のパンククラブを巡り、多くのミュージシャンと出会って帰国したばかりの頃だ。
僕が浅草に住んでいることに興味を持ち、会いに来てくれたのをきっかけに意気投合した僕らは、浅草界隈を歩き回るのを楽しんだ。
小さな店をのぞき、花やしきへ行き、下町のバーへも足を運んだ。
そうして、浅草という街を、時間をかけて共有していった。
40年以上にわたって続いている「親子」シリーズは、S-KENが編集長として出版することになった Pinhead Magazine の巻頭写真として撮影したのが始まりだったが、娘の誕生という僕自身の大きな出来事をきっかけに、今も続く僕のライフワークへと育っていった。

Pin Head Magazine, Photo by Bruce Osborn
Photo by Bruce Osborn, Nakano Oyako
Pinhead Magazine で撮影したパンクミュージシャン仲野茂親子の写真が親子写真の出発点だ
Photo by Bruce Osborn, Numata Genki
沼田元氣と相棒のすみちゃん

1980年代に活躍した、日本を代表するアバンギャルドなアーティスト名を挙げるとしたら沼田元氣もその一人だ。
「人間盆栽」という奇抜なパフォーマンスで知られ、代表作のひとつに、「アート観光」と題されたパフォーマンスも有名だ。
Photo by Bruce Osborn, Numata Genki
東海道五十三次の旅の途中
東京から京都まで、およそ300マイルに及ぶ東海道五十三次巡礼を歩くというパーフォーマンスを敢行した
Photo by Bruce Osborn, Asakusa Onsen
浅草温泉のステージでパーフォーマンスをする沼田元氣とすみちゃんと踊り子たち

浅草寺のほど近くに、かつて「浅草温泉」があった。
その2階にイベント用に貸し出されていた大きなステージがあり、バー「スティング」の店主・片山さんの先導で、
パンクバンドや芸人たちを集め、イベントを開催して楽しんだ。
Photo by Bruce Osborn, Sento
銭湯の刺青の男たちの写真
「観光ではあまり見られない日常風景」をテーマに撮影したシリーズの一枚
Photo by Bruce Osborn, Tamasuke
悠玄亭玉介(ゆうげんてい・たますけ)は、昭和から平成にかけて活躍した幇間(ほうかん)

幇間の起源は古く、太閤・豊臣秀吉の時代にまで遡ると言われている。宴席やお座敷といった酒席で、主や客に芸を披露し、芸者や舞妓を支えながら場を盛り上げる職業として生まれた。
幇間は別名「太鼓持ち」や「男芸者」とも呼ばれ、歴史的には男性が担ってきた職業で、「太夫衆(たゆうしゅう)」と呼ばれることもあったと伝えられている。
僕が浅草にいた頃、玉介は「最後の幇間」だと言われていたが、現在でも、浅草界隈には、一度は途絶えかけた幇間の文化を受け継ぐ人々が、わずかながら存在しているという。
日本の文化は奥深く、まだまだわからないことだらけだ。
歌舞伎や能、宝塚歌劇団など、日本には男だけの劇団、女だけの劇団、そして幇間のように、男性が芸者を演じる世界も存在している。
その多様さは、日本文化の豊かさを示す、ひとつの文化的遺産と言えるだろう。
Photo by Bruce Osborn, Momo Chan in Ginza
ももちゃん

来日して間もない頃、新しく開店した店の前でチンドン屋が演奏しているのを見かけると、胸が躍った。
ももちゃんも、チンドン屋といえばチンドン屋だったのかもしれない。
けれど、どちらかというとストリートパフォーマー。ほかのチンドン屋とは、少し違う存在だった。
浅草寺、新宿駅前、七五三で賑わう明治神宮前、そして日曜の銀座通り(歩行者天国)。
東京のあらゆる場所に、ふいに現れた。
Bonpei Performance on yakatabune
屋形船での宴会

いまではすっかり定着している、隅田川や東京湾をクルーズする遊覧船や屋形船での宴会も、当時はまだ珍しかった。
隅田川でディナークルーズをしている屋形船は、数えるほどしかなかったのである。
下町の情報誌『下町タイムズ』編集長・今泉さん協力してもらって、船を一隻まるごと貸し切り、パンちゃんや早野凡平といった芸人たちと一緒に乗り込むクルーズは、ときにハメが外れ、とにかく相当楽しかった。
Photo by Bruce Osborn, S-ken on yakatabune
満員御礼で大混雑だった屋形船内。テレビの普及であまり触れることがなくなっていた大道芸をみんなで楽しんだ
Pan-chan & S-ken
パンちゃんとS-KEN

アメリカでパンク文化の洗礼を受けて帰国した S-KEN に誘われ、
引退を考えていた浅草芸人のレジェンド、パンちゃんの芸人魂に、再び火がついた。
S-KEN が企画したライブでパンちゃんのボードビルを披露したこともしばしばあった。
Photo by Bruce Osborn, Harajuku Rockers
自慢の衣装で、全てこの一瞬のために生きていた

代々木公園へと続く通りは、毎週日曜になると「歩行者天国」となり、60年代ロカビリー風のスタイルに身を包んだ若者たちのステージと化した。
彼らは大きなカセットデッキからロカビリーを流し、何百人もの若者が全国から集まり、それぞれのファッションに身を包んでで踊い狂っていた。
その光景をひと目見ようと、周囲にはさらに多くの人々が群がった。
今思い出すと、平和で穏やかな風景だった。
Yama-chan
やまちゃん & クリームソーダ

ロカビリーブームのリーダー的存在だったのが、キャットストリートにロカビリーショップ「CREAM SODA」を構えていた、山崎眞行通称やまちゃん。
北海道・赤平の出身で、高校卒業後に東京へ移り住み、日本のロカビリー音楽とスタイルを広めた人物だ。
Yama-chab bedroom
やまちゃんのベッドルーム
Cream Soda
店内も自宅も、ロックンローラー・スピリッツ一色で埋め尽くされた徹底ぶりが圧巻だった
Photo by Bruce Osborn, Black Cats
やまちゃんがプロデュースしたバンド、Black Cats
Photo by Bruce Osborn, Torii
鳥居

僕は、日本に来たばかりの頃から、鳥居に強く引きつけられていた。
寺社だけでなく街の中にもビルの屋上にも鳥居があって、日本という国そのものを象徴しているかのように見えた。
Spring 1982 - video by Bruce Osborn
Spring 1982 – Video by Bruce Osborn

原宿のクラブ「Collies Creek」で上映される映像イベントに、アーティストの一人として参加し、ビデオ作品を制作することになった。
そこで思い立ったのが、以前から気になっていた、伝統的な日本の象徴――鳥居をモチーフにした作品だった。
このビデオ作品に付けたタイトルが、「1982年春」である。
Photo by Bruce Osborn, Torii and Fuji
バイカーと富士山
Photo by Bruce Osborn, Torii in Harajuku
原宿
Photo by Bruce Osborn, Torii and surfers
鎌倉のサーファー
Photo by Bruce Osborn, Torii and baseball kids
三谷の野球練習場
Photo by Bruce Osborn, Torii and Kingtones
キングトーンズ

撮影のために、映画の美術スタッフに持ち運びができる組み立て式の鳥居を作ってもらった。
その鳥居を車に積み、原宿、三谷にあった野球練習場、夢の島、湘南の海など、いろいろなところに運んで撮影をした。
キングトーンズには、僕が住んでいたビルの屋上まで来てもらい、
屋上に建てた鳥居の前でパフォーマンスをしてもらった。
まるでプライベート・ライブのような、贅沢な撮影だった。
多くの人に無理なお願いをしながら、
来日したばかりの頃に感じた、日本の新鮮なイメージを、映像と写真に収めていった。
Photo by Bruce Osborn, Yume no Shima
夢の島

東京のゴミが集められ、埋め立てによって生まれたのが「夢の島」だ。
今はもう幻となった、その「夢の島」にも足を運び、鳥居を建てて撮影を行った。
風が吹くと、紙切れやプラスチック片が舞い上がり、周囲を囲む金網にぺたぺたと貼りつく。
それは、一瞬だけ立ち現れる抽象アートのようだった。
しかし、風向きが変わると、それらはすべて吹き飛ばされ、今度は風下のフェンスにへばりつく。
瞬間ごとに姿を変えて現れては消えるその光景は、ゴミだということさえ忘れてしまうほどだった。
Photo by Bruce Osborn, Kōj Kikawa
吉川晃司
Photo by Bruce Osborn, Shono Mayo
庄野真代
Photo by Bruce Osborn, Tango Europe
TANGO EUROPE
Photo by Bruce Osborn, Togawa Jun
戸川純
Photo by Bruce Osborn, Watanabe Machiko
渡辺真知子

懐かしい思い出が詰まったアルバム。
アルバムのイメージ写真を撮影する仕事も増え、背景のデザインを考えながら撮影。
それぞれのアーティストに合わせたイメージづくりにも、自然と熱が入った。
毎日は充実していて、とにかく忙しかった。
Photo by Bruce Osborn, Nezu
Photo by Bruce Osborn, Nezu
根津

家の近くにあった根津も、よく足を運んだ場所だった。 
まるでタイムマシンで時代を遡ったかのような静かな町並みが写った写真を、改めて見返すと、 蒸し暑い夏の日セミの声が響きわたる中を、街の喧騒から離れてゆっくりと歩いた記憶がよみがえってくる。 
アメリカ人である僕が、蝉の鳴き声に夏の暑さを感じるようになるまでには、 正直なところ、しばらくの時間が必要だったが。
Bruce Osborn and Friend Baseball Team

やんちゃ仲間のベースボールチームにも加えてもらった。メンバーになって間もない頃、原宿のヘアサロンのオーナーが、僕らのチームに挑戦状を叩きつけてきた。
僕たちのチームは、デザイナー、イラストレーター、写真家といった顔ぶれ。
相手は美容師のグループだったので、正直なところ、負けるはずがないと自信満々で、その挑戦を受けて立った。
ところが
油断していたせいもあって、見事に負けという結果に終わった。
Photo by Bruce Osborn, Friday the 13th Band
「Friday the 13th Band」

音楽に無知な素人集団のジャムセッションほど、耳障りなものはない。
佳子も僕も、そして「Friday the 13th Band」に参加したほとんどのメンバーが、楽器の演奏とは縁のないパンクだった。
「とにかくやってみよう!」というノリで集まった面々である。
ミュージシャン用のレンタルスタジオを予約し、
20人近くが狭い部屋に、ぎゅうぎゅう詰めで入った。
指揮者もリーダーもいない。
全員が、好きなように演奏を始める。
そのうち、自分の音が聞こえない誰かが、少しだけ音量を上げる。
すると今度は、やはり自分の音が聞こえないもう一人が、さらに大きな音を出す。
そんな連鎖の末、とてつもなくうるさいセッションになったが、ものすごく爽快で、楽しかった。
ところが、スタジオを出ようとしたとき、
管理人から「二度とここには来ないでください。」と言い渡された。
その日は、13日の金曜日だった。
そこで僕たちは、その一度きりのバンドを記念して、
“Friday the 13th Band”
という名前をつけた。
演奏に夢中で、撮影のことにまで気が回らず、記録の写真は一枚も残っていない。
残っているのは、あの日参加したメンバーのひとりの写真だけだ。本当に残念だ。
この一枚の写真から、20人が同時に鳴らした音のカオスを想像してほしい。

ファッション

Photo by Bruce Osborn
大船観音像とモデルたち
Photo by Bruce Osborn
カラフルな外観の建物を背景に、跳ねたり、スキップしたり、ジャンプしたりするモデルたち。
この一枚は、ロサンゼルスでロケ撮影したものだ。

Y’s コレクションは、当時、勢いのあるファッションブランドだった。
デザインを手がけていた山藤昇さんとは感性が合い、撮影においても互いの信頼が厚かったため、自由なスタイルで撮影を進めることができた。
Photo by Bruce Osborn
菱沼良樹デザインの衣装
Photo by Bruce Osborn
京王百貨店の広告

デザイナーの菱沼良樹さんに特注の衣装を用意してもらい、沖縄へひとっ飛び。
京王百貨店の一連の広告は、チャレンジのしがいがあり、楽しい仕事だった。
当時、アメリカの百貨店広告は、カタログのページのように「商品をそのまま見せる」ものが主流だったけど、感情に訴えかける手法が特徴だった日本の広告写真は、ビジュアルもコピーも、楽しくて挑発的。
さらに、エンターテインメント性が求められることも多く、広告の仕事をするたびに、心からワクワクしたものだった。

ポートレート

写真を撮るという言葉の「撮る」は、一瞬を狙って捉えるという意味を持ち、英語では shooting と表現される。
どこか「一騎打ち」のような感覚だ。
被写体と真正面から対峙し、その人となりをまるごと受け止め、咀嚼し、それを映像として記録する。
その行為は、全身を使って向き合う、身体感覚の表現なのだと思う。
とりわけ、人物を撮影することは、自分が会いたい人や、心から興味を惹かれる人たち、そして写真を撮ってほしいと望んでくれる人たちと、「一対一で向き合える」という、写真家に与えられた特権のようなものだ。
それは僕にとって、とても大きな魅力である。

Photo by Bruce Osborn, Araki
写真家の荒木経惟さん
Photo by Bruce Osborn, Koshino Junko
ファッションデザイナーのコシノジュンコさん
Photo by Bruce Osborn, Muraboshi
室伏 鴻さんはダンサーで振付家
Photo by Bruce Osborn, Sono Ichi
ファッションデザイナー酒泉明子さん
Bruce Osborn Interview
Bruce Osborn, Interview
BRUCE OSBORN の紹介ということで撮影した写真
Illustration by Bruce Osborn
TOO MUCH FUN

雑誌の12月号のインタビューページで、「週末は何をしますか?」という問いに、イラストで答えたもの。
年末ともなると、とにかく毎日、忘年会に明け暮れた。
企業の忘年会でも、友人の忘年会でも、関係者であっても、そうでなくても、友達に誘われればまずは参加。
友人たちとパーティーの情報を共有し、あちこちに顔を出して、まるで“町じゅうがお祭り騒ぎ”のような状態だった。
新しいクラブがオープンすれば、そこでも忘年会。
12月の最後の数週間は、毎晩どこかでパーティーがあり、参加した会場で次のパーティーの情報を仕入れては、“二次会”どころか、三次会までハシゴする始末だった。
年末の仕事を片づける忙しさと、終わりのないパーティーラッシュ。
その結果、年の終わりには、すっかり疲れ果ててしまう――それが恒例だった。
終わりに
振り返ってみると、楽しいことで埋め尽くされた半世紀だった。
刺激的な仲間たち、日本の文化。
それらは、アメリカにいた頃に得ていた情報とは異なる面もあったけれど、とにかく日本人の幅の広さに驚かされることが多かった。
浅草で日本文化の洗礼を受け、六本木や麻布、青山で新しい日本を体感した。
そこでは、新しい文化を受け入れ、意欲的にチャレンジする日本人たちにも数多く出会った。
彼らもまた、ヨーロッパやアメリカでの経験を軸に、新しいカルチャーを創造し、エネルギーに満ちあふれていた。
Vol.17 から Vol.18 へ移行するにあたり、これまでの出会いや経験を振り返りながら、それらが今の自分にどうつながって、さらには未来への道筋をどのように導いてくれるのか
そんなことを、これからも綴っていくつもりだ。
僕のライフワークとして今も続いている「親子」シリーズは、その延長線上にある。
S-KENとの出会いに始まり、娘の誕生という出来事を通して、命と真摯に向き合う経験をした。
そして1万組にも及ぶ親子との出会いによって、「親子」というテーマは、より深く、確かなものになっていった。
この「親子」というテーマは、自分自身を再確認させるだけでなく、未来を生み出し、ときには妄想さえも現実にしてしまうほどのパワーを持っている。
「East Meets West」とは、東洋と西洋が出会い、異なる文化が交わり、融合していくことを意味する言葉。
僕の中で交わった EAST の文化と WEST の文化が、これからどのように混ざり合い、成熟していくのか。
その物語の続きを、これからも見守ってほしい。
物語のキーワードはEAST MEETS WEST だ!

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