Bruce Osborn

once upon a time

もうひとつのカリフォルニア・ドリーミン 04 アフガニスタンからパキスタンへの旅

ヒッピー・トレイル・マップ

ポンコツと化して売るしかなかった愛車を処分した後の交通手段はマジックバス。運転手も乗客も個性的な人たちでそれなりに楽しい旅の仲間だったが、大きな問題はイスタンブールに到着するまでに何度故障をしたか覚えてないほどのポンコツバスだったこと。
それでもなんとかイスタンブールに到着したのは奇跡に近い。

アジアとヨーロッパにまたがる国、トルコ自治区の一つイスタンブールは、大陸の架け橋ともいわれる場所。
イスラム教徒の祈りの声や街の騒音が聞こえて、国境を越えたことを実感した。

映画「トプカピ」の舞台になったトプカプ宮殿、歴史的建造物のスルタンアフメト・モスク、世界遺産のブルーモスク、イスタンブール地下宮殿など。イスタンブールでは行ってみたい所がたくさんあったので、歩いていても異国情緒を十分に満喫することができた。
プディングショップのラレ・レストランは、来る前から名前を何回も聞いていた店の一つ。豊富な種類のプリンがあることで有名なだけでなく、外国人旅行者のたまり場としても人気があった店だ。地元の人や外国人旅行者で賑わう店の壁には、その頃では唯一の情報交換機能として重要だった伝言板があって、メモで埋め尽くされていた。

PUDDING SHOP: https://yabangee.com/ill-take-pudding-shop-taste-istanbuls-hippie-past/

実は、ここで名所旧跡以外にも是非行ってみたかったのがトルコ風呂。観光案内所で聞いて行ったその風呂はあまりにも巨大な浴場だったのでビックリ仰天。レスラーのようなガタイの大きい男性からマッサージを受けた後は、肌がヒリヒリして筋肉痛に!

イスタンブールでテヘラン行きのチケット購入。
ギリシャから乗ってきたマジックバスとは大違いのイランバスは快適だった。アフガニスタンに向かう途中、いとこのボブが次の学期から学校に戻りたいので帰国すると旅のドロップアウトを宣言。アフガニスタンに行くのはビルと僕の二人ということになった。

アフガニスタンのイミグレーションで僕らを迎えてくれたのは、水パイプを吸いながら入国者の対応をしている職員。まるでルイス・キャロルの小説『不思議の国のアリス』に出てくるチェシャ猫のような彼を見ながら、僕は、白うさぎに導かれての穴に転がり落ちたアリスの気分になった。
舗装されてない道路、木材を燃やす技術、泥レンガの壁、全身と顔を覆うブルカを着た女性。アフガニスタンのヘラートの印象は、まるでタイムマシンで過去に戻ったようだった。

過去数世紀にわたり、貿易や戦争のためにこの国を通過していった人々の名残か? アジア系やヨーロッパ系の血が混ざり合った人たちが多く見受けられた。

アフガニスタンのハラートの路地裏には、シープスキンやカラフルな刺繍が施されたアフガンコートを販売する店がたくさんあった

手作りのバッグ、ベルト、靴など、陸路の旅行者向けの人気商品が並ぶ店

あの頃はヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアなどの国々から陸路で旅をする多くの若者がいて、文化交流が盛んに行われていた。僕たちも含め、彼らはホテルやレストランや路地裏の店などで地元の人から異文化について学び、アフガニスタン人も旅行者から様々なことを聞いて学ぶという温かい血の通った交流があった。

僕も、1ヶ月間のアフガニスタン滞在中に、地元の人たちとの交わりを通じて、さまざまな貴重な経験をすることができたし、実際に行って見てわかったこともたくさんあった。宿泊したホテルを経営していたアフガニスタン人のジョンは、副業でハシシを作って販売していたし、ドラッグは日常生活の中に侵食していたが、カンダハールでの時間は穏やかに過ぎていった。

近くの丘にハイキングに行った時のこと。
ガイドをしてくれたのは、父親の知り合いの家族と結婚することになったという男性。つい最近、将来の奥さんに会えたと嬉しそうに言って、美しい花嫁を迎える喜びを話してくれた。まだ若い彼が結婚できるのは、彼の父親が医者で経済的に恵まれているから。ほとんどのアフガニスタン人男性は、花嫁の両親に多額の持参金を支払わなければならないため、若い年齢で結婚することは不可能だということも事実としてある。

アフガニスタンでの色彩の印象はだいたい茶色や灰色の落ち着いた色調だったが、パキスタンとアフガニスタンの間の物資を輸送するトラックはまた別物。現代版のキャラバンは、乾燥した山や砂漠をさっそうと走るアートギャラリーのようだった。

カンダハールの通りで見かけるのはほとんどが男性。女性をたまに見かけても、頭からつま先までブルカで覆っているのが常識だった。
正面に見えるのは映画館の看板。どんな内容の映画か気にはなったけど、看板からは判別できなかった。

近くの山の頂上をめざしてハイキングに出かけたら、遊牧民の家族に出会って泥壁の家に招待され、お茶をご馳走になるチャンスがあった。顔を覆っていない女性を見たのはその時が初めて。イラン、アフガニスタン、パキスタンの間を季節ごとに移動する遊牧民だということが、限られた会話の中から理解できた。

遊牧民がどうやってこの砂漠を横断してきたのか想像もできないほど、どこまでも広大な景色

ホテルに戻るために山を下っていると、二人の男の子がどこからともなく現れた。僕らとしばらくいっしょにいた二人は、まるで山羊のようにギザギザの岩肌の上を走ってどこかに消え去って行った。

タイヤを棒で転がしたりしながら町中を走りまわっている男の子たちに会った。ニコニコして写真に写ってくれていた彼らだったけど、写真を撮り終えて帰ろうとしたら石を投げつけられてちょっと驚いた。

学生のグループに会ったので写真を撮らせてもらった。
1979年に始まったソ連とアフガニスタンの戦争では多くの民間人が犠牲になり、何百万人もの難民がパキスタンとイランに逃れたと聞いている。裕福な家庭の出身だったであろう彼らの生活も一変してしまったのではないかと想像すると心が痛む。

カンダハールのバスターミナル。次の目的地はカブールだ。

アフガニスタンで訪れた他のどの街よりも、カブールは賑わいがある場所だった。外国人向けのホテルが立ち並ぶエリアに宿をとって近くを散策。たまたま見つけたレストランのケバブと、肉をスパイスとレーズンで味付けしたカブリライスが美味しかった。
左利きの僕にとって少しだけ不自由だったのは、右手で食べなければならなかったこと。
石炭、布、宝石、楽器、ハシシ、銃、ナイフなど…日常に必要なあらゆる物を売っている店が軒を連ねていた。

ジャララバードに向けて出発する前に汗を流そうと思い、ホテルの支配人おすすめの浴場に行くことに。入浴の受付を済ませて係の男が僕の体を洗い始めたとき、思っていたのとは違うサービスなのに気がついて、あわてて服を着て外に走り出した。ビルも同時に外に飛び出してきたので、危うく衝突しそうになった。何があったか無言のうちに理解し、ふたりで大爆笑。アフガニスタン最後の目的地、ジャララバードに向かう直前の出来事だった。

カブールからジャララバードに向かう道路はカイバル峠などの深い峡谷を通る、アフガニスタンとパキスタンの国境近くにある。東西を結ぶシルクロードとしても知られているこの地域は、ジンギスカン、アレキサンダー大王、英国、そしてソ連と米国が侵略に失敗した歴史が物語る通り、文明の墓場としても知られている。

ジャララバードには数日間滞在。
たくさんの野菜や果物が栽培されていて、今まで食べた中でいちばん甘いレーズンやザクロが美味しかった。

次はいよいよパキスタン。12カ国目になる。

アフガニスタンで最後に訪れたジャララバード。パキスタンに行く前のエネルギーを充電するべく、平和を満喫しながらのんびり過ごした
店番をする人も午睡休憩をとるのが一般的だそう

パキスタンで最初に行ったのは、カイバル峠の東の入り口に位置するペシャワール。 パシュトゥーン人はアフガニスタン人と風貌は非常によく似ているが、規律などに関しての制限的はそれほど厳しくなかったような記憶がある。女性はブルカを着用しないままでも自由に公共の場に出入りしていた。

バザーではヤギの頭のスープを売っていた。1973年にローリングストーンズがリリースした『ヤギの頭のスープ』というタイトルのアルバムを思い出して、パキスタンとの繋がりはなんだったんだろうと不思議に思ったけれど、調べてみたらこの曲を録音したのはジャマイカで、パキスタンとは関係がなかったようだ。

Whole Goat Head | Pakistani dishes

ということで、ローリング・ストーンズのアルバムのタイトルはミック ジャガーのオリジナルアイディア。

The Rolling Stones – Star Star (Live)

パキスタンで滞在した2番目の都市がラホール。
バドシャヒモスクに行って、モスクと一緒に自分の写真を撮っていたら、2人のパキスタン人が隣に座ったので一緒に撮影。そのあともう2人来たので5人で写真に収まった。もっと撮り続けていたらどんどん人が増えていったかもと想像すると、途中でやめてしまったのが悔やまれる。

ROADSIDERS’ weeklyより:https://roadsiders.com/