~もうひとつのカリフォルニア・ドリーミン 13
東京での展覧会が決定

念願だった東京での写真展が実現することになった。
会場は日本橋の小西六ギャラリー。
初展覧会のタイトルを「LAFANTASIES|三部作」と決めて作品の制作に取り掛かった。
三部作のうち、第一部は、当時仕事をすることが多かったモデルやミュージシャンにLAのパンクシーンを盛り上げていたファッションデザイナーの衣装を着てもらって撮影したファッション系の写真。


当時LAのパンクシーンで人気ナンバーワン、個人的にも交流があったScreamersのボーカルTomata du Plentyをモデルに撮影した写真を20インチx24インチにプリントし、地元で活躍中のクリエーターがその写真をモチーフにコラボレーションするという作品の制作を企画。Tomataのパーフォーマンスから伝わる熱く燃えるエネルギーが溢れる写真を撮影し、そのプリントをコラボ作品の制作にOKしてくれた20人のクリエーターの元に届けた。



モノクロのプリントにイメージをプラスして作品を仕上げるというのは、当時、写真に対してかなり挑戦的なアイディアだったこともあって、実験的な表現の場として楽しんでくれたクリエーターたちによって、素晴らしい作品が出来上がった。


70年代にテキサスからLAに引っ越してきたGary Panterは、その頃すでにパンクカルチャーの先駆者として活躍中だった。バンドのフライヤーを作ったり漫画を描いたりと忙しくしていた彼の作品のキャラクターの中でも、Jimboは一番人気だった。Jimboが『Slash』誌で紹介されると間もなくGary自身も人気者になり、ギャラリーや美術館での展示会も多く開催された。テレビ番組「Pee-wee’s Playhouse」のセットデザインで3回ものエミー賞を受賞する快挙も!





アーティストを紹介するテレビ番組の撮影でLAに行くことになったのも、展覧会がきっかけだった―「日立サウンドブレイク」より、Gary Panterと



Lou Beachはドイツ生まれ。1951年に家族と共に米国に移住した当時はNY州ロチェスターに住んでいた。公立学校と短期大学に通った後、1968年にLAに移住。古い『LIFE』誌から切りとったイメージをコラージュした作品を制作するなど、独学で作品を作っているうちに雑誌やアルバムカバー用のイラストを依頼されるようになった。
LAのアーティストとしてコンピューターでコラージュする作品の先駆者だったと思うが、近年、芸術家を志す自身の子どもたちに後推しされたことで、再び手作りの作品を作り始め、同時に芸術家としての地位も確立した。ロサンゼルス、サンフランシスコ、シアトルのギャラリーの代表も務めている。








Mick Haggertyはイギリス出身。ロンドンで美術を学び、1973年にLAに移住。多くのアルバムカバーや雑誌の表紙のイラストやデザインを手がけながら、写真、タイポグラフィー、ミュージックビデオの監督としてもたくさんの仕事をした。アートディレクターとしても90年代にはヴァージンレコード、2001年にはワーナーミュージックで、数々の作品に関わった。Supertrampの「Breakfast in America」でグラミー賞を受賞。作品はニューヨーク近代美術館に所蔵されている。






「LAFANTASIES|三部作」の展覧会をきっかけに、その後も、Mick Haggertyとコラボした映像を制作する機会に恵まれ、テレビなどでも放映された。


南カリフォルニアで生まれたJohn Van Hamersveldは、僕らと同じように10代の頃からサーフィンブームの洗礼を受けた一人だ。Art Center College of Designでは僕の大先輩。学校に通いながらサーファー・マガジンのデザイナーとして働いていた1964年に、Bruce Brownsの映画「Endless Summer」のポスターを制作。かれこれ60年以上も前のことだ。
以降、ロックコンサートのポスターやレコードアルバムのグラフィックデザイン、そしてイラストレーターとして数々の名作を残した。立て続けにデザインした300以上の作品の中には、今でも懐かしいBeatlesのMagical Mystery Tour、Jefferson AirplaneのCrown of Creation、Rolling StonesのExile on Main Street、KissのHotter Than Hellなどたくさんある。最近は限定版のシルクスクリーンや、大型の壁面絵画作品も制作している。





John Van Hamersveld、Lou Beach、Gary Panter、Mick Haggerty以外にも、LAでの日々を彩ってくれるクリエーター仲間であるRhonda Voo (Dot)、Rod Dyer、Jim Benedict、Hoi and Ark Wong、Mike Fink、Cindy Marsh、Margery Morriなど錚々たるメンバーがこの企画に参加してくれたので、日本初の展覧会は当時LAで活躍するクリエーターたちのエネルギーが伝わる貴重なコレクションになったと思う。








「LAFANTASIES|三部作」の展示会には残念ながら参加してもらえなかったが、クリエーターとして僕の記憶に強烈に残っているのはカナダ出身のBob Zoellだ。15歳頃からから看板店や出版社で働き始め、1960年代に米国に移住、LAに住みついた。

アーティストとしての作家活動をする前は、広告代理店でのロゴデザインやパッケージングのデザインなどCI関連の仕事が主だったBob Zoellは、1968年に広告の仕事をやめて、自身のデザインとイラストをするためのスタジオを設立。ユーモアとアイロニックなセンスと創造的なスタイルが評価されて『Esquire』『Playboy』『New Yorker』などで多くの作品を発表。彼の作品はロサンゼルス郡立美術館の常設コレクションなど、数多くの美術館に収蔵されている。さらにパブリックアートプロジェクトとして制作した作品は、ロサンゼルス、サンフランシスコ、デンバー、ニューヨーク、ナッシュビルなどの空港や公共スペースで見ることができる。彼は独自の作風を「Abstract Reductive Formalism」(抽象還元形式主義)と名付けて、今でも意欲的な制作活動をい続けている。






僕が初めて日本に来る1年前の1977年。
パンクロックのムーブメントにフォーカスした大判の新聞雑誌『Slash』がスタートした。
編集長は常に時代の牽引役を担ってきたSteve Samiof。スタートした当時は企画、編集、ライターなど何役もの仕事をたった一人で請負っていたが、Screamers、X、Black Flagなど地元の人気バンドを取材したり、LA周辺の新しい情報を紹介した誌面は、流行に敏感なLAの若者に大いに受けた。また地元のアーティストにビジュアルまわりを依頼するスタイルをとったことで、各地から集まったアーティストの才能を発掘し、世に出す重要な役割を果たすことになった。アーティストたちは作品を持ってSteveのオフィスを足繁く訪れるようになり、『Slash』はいつしかサロンのような場となった。発掘されたアーティストの中でも、『Slash』の表紙を飾ったり特集として作品を紹介されることが多かったGary Panterのファンは多く、この雑誌がきっかけになってGaryのアーティストとしての地位が確立したと言える。


たくさんの若者向けの店舗がMelrose Ave.に店を出し始めたのもこの頃のこと。ファッションに敏感な若者が集まり急激に変貌したMelrose Ave.の様変わりに素早く反応したSteveは、29号まで続いたSlash誌を廃刊。新しいコンセプトの雑誌を作る事にした。
それが、Melrose Ave.にオープンした店舗向けのタブロイド誌『Stuff』の誕生だ。
全ページが広告で構成される新しいスタイルの雑誌の出稿料は、わずか50ドルという低価格。この金額で全面広告を載せられるということで、トレンディーなブティック、ギャラリー、それに流行に敏感な新しい顧客を惹きつけたいと思っている企業がこぞって広告を出稿。Melrose Ave.の店舗で入手できるフリーペーパーして、その地位を急速に獲得していった。


Steve Samiofは、『Slash』と『Stuff』の制作を通じて、たくさんのアーティストに出会った経験を糧にさらなる進化を遂げ、やがて新たなプロジェクトに挑戦することを決意する。
新しいプロジェクト名は「Steve’s House o Fine Art」。作品の展示に加えて、ポップアップのショップを数ヶ月にわたって開催。また、新進気鋭のアーティストの作品と同時に、著名なアーティストの作品も展示するなどの工夫が功を奏し、オープニングパーティーにはクリエーターや著名人が集まるようになって、LAのクリエーターたちのサロンとして機能する場になった。

街には音楽関連や映画業界といったクリエイティブな仕事をする人たちが溢れるようになった。なかでも、今また注目されているアナログアルバムのカバー・アートワークは、クリエーターにとって大きな目標だった。Melrose Ave.にオープンした新しいお店を覗きながらのんびり散歩するのは、そんな日々をさらに豊かにしてくれ、ミュージシャンだけに限らず、イラストレーター、写真家、デザイナー、すべてのクリエイターが自由なイマジネーションを形にしようと挑戦し、そのエネルギーが社会にも大きな影響を与えるほど、パワフルな時代だった。
温暖な気候。
ビーチとヤシの木。
輝く太陽のように弾ける南カリフォルニアの生活。
写真家やアーティストにとって自分の作品を展示する重要なショーケースだった『Slash』と『Stuff』と、仲間たちに会えるサロンSteve’s House of Fine Art。
僕にとって何一つ不満のない環境で、退屈しない街だったLAを離れる旅立ちの日が近づくにつれて、エキサイティングで刺激的な仲間からのコラボ作品も徐々に届いてきた。
近所にあったJolly Wall Graphicsのフランス人オーナーJim Benedictから、日本出発前のお披露目展覧会をしないかという声がかかったのはその頃。
急な企画だったにも関わらず、写真のモデルを務めてくれたTomata du Plentyはもちろん、作品づくりに協力してくれたアーティストやミュージシャンが集まって、盛大なパーティーが開かれた。

太平洋を渡った先にある日本を目指すのは、僕一人だった。
Bon voyage!

