オン・ザ・ストリーツ・オブ・ロサンジェルス part 2
その頃住んでいたのは、Western Blvd.とMelrose Ave.に近いロフト。裏庭にはバレーコートにできるスペースがあり、週末になるとみんなが集まってきて、大音響で音楽をかけながらバレーボールを。定番のサウンドトラックは、James White, Specials, Ramonesなど。Friction, Phew, Sheena and the Rocketsなどの日本のミュージシャンも人気だった。
幸いなことに、旅を終えて帰国した後も、前から働いていたPhonographic Record Magazineで働くことになったので、仕事のリサーチも兼ねてコンサート通いをしたりクラブを回って地元のバンドを聞き歩く毎日だった。
週末のバレーボールとライブ会場で踊りまくるpogo danceのおかげで、運動不足も解消できた。

Whiskeyは’50年代にはWhisky a Go Goという名前で親しまれていた。
地元のロサンゼルスで絶大の人気を誇っていたのはなんと言ってもThe Screamers。カリスマ的なリードボーカルTomata du Plentyが得意だったパーフォーマンスは観客を目掛けてのダイブ!頭から観客に飛び込むと会場は大興奮の渦と化した。




Slash Recordsから出したアルバムで大ヒットした元DoorsのメンバーRay ManzarekがプロデュースしたXなど、たくさんのパンクのバンドが活躍していた時代。


パンクロック音楽の殿堂ともいえるLAの地下クラブThe Masqueで演奏活動を始めたのが、全員女子のバンドGo-Go’s!

右から:Margot Olavarria, Belinda Carlisle, Jane Wiedlin
Go-Go’sのメンバーと一緒に写っているのは、かつてPhonographic Record Magazineにいて、その後FM局KROQで「Rodney on the ROQ」というラジオ番組を持つようになったRodney Bingenheimer。パンク音楽を初めてラジオで流したという伝説のDJとしてGo-Go’sだけでなく、多くのミュージシャンからにリスペクトされた人物。彼の番組のおかげで認知度があがったミュージシャンも数多い。

被写体に合わせたオリジナルの背景を製作するのも楽しかった
Go-Go’sがブレイクするきっかけを作ったのは、UKのスカバンドSpecialsとMadnessが彼女たちをイギリスツアーに招いたことだった。Stiff Recordsは、ツアー中の音源をGo-Go’sの最初のシングル「We Got the Beat」として発売。カバーになったのが僕のスタジオで撮影した写真。


Tropicana Motelは宿泊費の安いことと利便性の良さで、LAで演奏するバンドがよく利用するホテルだった。かつてはJanis Joplin, Bob Marley, Alice Cooper, Iggy Pop,the Ramones, Blondie, the New York Dolls, Clashといったアーティストも利用していたそう。
Tom Waitsが数年間Tropicana Motelを常宿として住んでいたというのは有名な話だ。


Levi and the Rockatsも、LAでの定宿はやはりTropicana Motelだった。
パンク音楽の流れが、ニューウェーブやテクノに分かれた時と同じころ、ロカビリーにも新たな変化が生まれた。当時、Levi and the Rockatsは、パンクとロカビリーを融合させた初期のバンドの一つで、この時代の音楽を語るのには忘れてならないバンドの一つだ。






イギリス出身の人気ロカビリーバンドLevi and the Rockatsと会ったのは、Tom Waitsが住んでいたイースト・ハリウッドのTropicana Motelに彼らが滞在して活動を開始した70年代後半のことだった。
Levi and the Rockatsをきっかけにしたロカビリーブームで再燃したのがRay Campiだった。彼は50年代にGene Vincent, Elvis Presley, Carl Perkins, Wanda Jackson, Johnny Cash, Jerry Lee Lewis, Buddy Holly, Eddie Cochran. Ronny Weiserなど錚々たるメンバーと同じ頃に活躍していたミュージシャンだ。
ロカビリーマガジンを出版していたRonny WeiserがRollin’ Rock Recordsを始めることにしたのは時代の流れを素早く読んだからだろうか。
たまたま電話帳でRay Campiという名前を見つけたRonnyは、50年代に「Caterpillar」という曲を録音したRay Campiと同じ人物かどうかを確認するために、電話をかけてみた。
Rollin’ Rock RecordsのFacebookページ
電話にRay Campi本人が出たのに驚いたRonnyだったが、数年前に演奏をやめ、中学校で英語を教えているというRayにすぐに会いに行きたいと伝え、早速、RonnyはRayに会いに行くことになった。一晩中話し合った結果、Rollin’ Rock Recordsのために録音してアルバムを作る意思を確認できたのは、中学校教師のRayが学校に出かける直前だった。
通常ギターを弾いていたRayにスタンドアップベースを弾かせたいと思ったRonnyは、Rayのためにスタンドアップベースを購入。特訓練習を4日間した後、RayはRonnyの寝室でRollin’ Rock Recordsのために収録をした。
Levi and the Rockatsなどのパンクロカビリーバンドの演奏が加熱していた時期。Ray Campi and the Rockabilly Rebelsはその流れに乗って、超スピードでLAの人気バンドとなり、ライブハウスで演奏することも多くなった。
多くのファンを獲得してミュージシャンとしての活動が忙しくなっても教職を数年間続けたRayは、睡眠不足のためにいつも目の周りに暗い影があって、それがトレードマークにもなったほどだった。Rayのバンドもロカビリーミュージックも、UKやヨーロッパ全体から注目を集め、たくさんのフェスティバルなどにもに招待された。
2001年の夏に来日したRay Campi and the Rockabilly Rebelsの生演奏を聴いた人もいるのではないだろうか。





1977年から1980年ごろ、テレビ東京の平日の番組に「日立サウンドブレイク」という音楽番組があった。音楽と映像クリップで構成されていて、今のプロモーションビデオの前身ともいえる番組。 この番組制作のためにLAに行ってRay Campi and the Rockabilly Rebelsを撮影してビデオクリップを作成した。LAの友人のスタジオを借り、RonnyがRayのファンを集めて撮影した懐かしい映像だ。

Nudie Cohnと彼の妻が1950年にオープンしたNudie’s Rodeo Tailorsという洋品店がノースハリウッドにあった。Hank Williams, Johnny Cash, Elvis Presley, Glen Campbellなど、カントリーウエスタンのミュージシャンの他にも、その頃のポップミュージックの大御所だったElton Johnたちのステージ衣装を専門に作っていた店。銀貨、ピストル、牛の角などで派手にカスタマイズされたNudieの愛車も超有名だった。日立サウンドブレイクの撮影でも使わせてもらった。


パンク・ロック、ニューウェーブ、テクノ、ロカビリーと、音楽のスタイルがいくつにも枝分かれしていった1980年の頃。日本で人気を博していたドゥーワップグループ「シャネルズ」が「黒船」よろしく、アメリカに上陸。
ブラックミュージックを愛してやまない「シャネルズ」の初公演は、LAで超有名なWhiskey。本場アメリカで初公演を終えたご機嫌な「シャネルズ」に、僕も佳子もすっかり魅了された。
ライブの成果が上々だった「シャネルズ」は、翌年LAを再び訪れて「LIVE AT THE WHISKEY A GOGO」というアルバムを録音したのだった。













